シャネル

ツイードジャケットがシャネルの象徴になった理由、スコットランドとの知られざる縁

yhongo

シャネルといえばツイード。しかしツイードはもともとスコットランドの漁師や農夫が着る作業着の素材でした。それをパリのオートクチュールに持ち込んだのがシャネルです。なぜ彼女はスコットランドの素朴な素材に目をつけたのか。その背景を知ると、シャネルの美学の本質が見えてきます。

ツイードはもともと「労働者の素材」だった

シャネルがツイードをファッションに持ち込む前、ツイードはスコットランドの労働者が着る実用的な素材であり、上流社会のファッションとは無縁でした。

ツイードはスコットランドのハリス島をはじめとする島々で、何世紀にもわたって手織りされてきた素材です。防風性と耐久性に優れ、雨の多いスコットランドの気候に適した実用的な生地でした。漁師が海に出るとき、農夫が畑に出るとき、ツイードはそのための服でした。

1920年代のパリ社交界では、こうした素朴な素材をファッションに使うことは考えられませんでした。シャネルはその常識を真正面から壊しにいきました。

参考:Vogue「The History of Tweed and Chanel」

ウェストミンスター公爵との出会いが変えたもの

シャネルがツイードに出会ったのは、イギリスの大富豪ウェストミンスター公爵との交際がきっかけでした。

1920年代後半、シャネルはイギリス一の富豪と言われたウェストミンスター公爵と交際していました。公爵のスコットランドの領地を訪れたシャネルは、そこで初めてツイードという素材と出会いました。

公爵や彼の友人たちが狩猟や釣りのためにツイードのジャケットを着ているのを見たシャネルは、その素材の実用性と素朴な美しさに魅了されました。「男性が実用のために着ている素材を、女性のファッションに転用する」という発想は、いかにもシャネルらしい逆転の発想でした。

参考:Harper’s Bazaar「How the Duke of Westminster Inspired Chanel Tweed」

パリの社交界が「作業着の素材」を受け入れた理由

シャネルがツイードをパリのオートクチュールに持ち込んだとき、当初は批判を受けましたが、その機能的な美しさがやがて社交界を席巻しました。

1954年のカムバックコレクションでシャネルが発表したツイードスーツは、当初パリのファッション批評家たちから冷淡な評価を受けました。しかしアメリカのバイヤーと消費者は熱狂的に支持しました。

理由は明快でした。ツイードのジャケットは軽く、動きやすく、シワになりにくい。コルセットで体を締め付けるドレスとは正反対の、実用的な美しさを持っていました。「着ていて楽な服が、なぜこんなに美しいのか」という驚きが、ツイードスーツをパリの社交界に浸透させました。

参考:Business of Fashion「How Chanel Revolutionized Tweed」

今も手織りにこだわる理由

現在のシャネルのツイードは、フランスのルサージュ社をはじめとする専門工房で手織りされており、機械化を一切行っていません。

シャネルは1985年にパリの老舗テキスタイル工房ルサージュを傘下に収め、ツイードの製造技術を守り続けています。一着のジャケットに使われるツイードを織るために、熟練した職人が数週間を費やします。

機械で織ることは技術的に可能ですが、シャネルはそれを選びません。手織りにしかない微妙な不均一さ、光の当たり方によって変化する表情、着込むほどに体に馴染む質感。これらは機械では絶対に再現できないとシャネルは考えています。スコットランドの漁師が手で織っていた素材が、100年後もパリで手で織られ続けている理由です。

参考:Financial Times「Chanel and the Art of Tweed」

まとめ

シャネルのツイードはスコットランドの労働者の素材から始まりました。ウェストミンスター公爵との出会い、男性の実用着を女性ファッションに転用するという逆転の発想、そして100年後も手織りにこだわる哲学。手元にあるシャネルのツイードジャケットには、スコットランドから続く100年の物語が織り込まれています。

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