グッチが一度「経営危機」に陥った理由と、ブランドを救った男の改革
1990年代初頭、グッチは倒産寸前の状態にありました。創業家の内紛、ライセンス商品の乱発、ブランドイメージの崩壊。世界的なラグジュアリーブランドが消滅の危機に瀕したとき、一人のアメリカ人デザイナーとビジネスマンのコンビがブランドを救いました。その改革の内容を知ると、ブランドの価値がいかに脆く、またいかに再建できるものかが見えてきます。
創業家の内紛がブランドを壊した
グッチが経営危機に陥った最大の原因は、創業家グッチ一族の深刻な内紛と、それに伴うブランド管理の崩壊でした。
グッチオ・グッチの息子たちとその子供たちの間で繰り広げられた権力争いは、1970年代から1980年代にかけて激化しました。一族のメンバーが互いに訴訟を起こし、経営権を巡って法廷で争う状況が続きました。
この内紛の間にグッチのブランド管理は事実上機能を失いました。ライセンス契約が乱発され、グッチのロゴがついた安価な製品が世界中に溢れました。財布、キーホルダー、ライター、傘。GGロゴがついた製品の数は最盛期に1万5000点以上に達したと言われています。ラグジュアリーブランドの命である希少性が完全に失われ、ブランドの価値は地に落ちました。
参考:Business of Fashion「The Rise, Fall and Rise of Gucci」

トム・フォードとドメニコ・デ・ソーレの登場
1994年にトム・フォードがクリエイティブディレクターに、ドメニコ・デ・ソーレがCEOに就任したことが、グッチ再建の転換点となりました。
1994年、投資会社バーレイン・インターナショナルによる経営介入を経て、グッチに二人の重要人物が加わりました。テキサス出身のデザイナー、トム・フォードと、イタリア系アメリカ人弁護士出身のドメニコ・デ・ソーレです。
トム・フォードがクリエイティブを担当し、デ・ソーレがビジネスを担当するという明確な役割分担が、グッチ再建の鍵になりました。フォードはグッチのアーカイブを徹底的に研究し、創業者の精神に戻りながら現代的なセクシュアリティと大胆さを融合させたデザインを発表しました。
参考:Vogue「Tom Ford’s Gucci Revolution」
ライセンス契約の大量解除という決断
グッチ再建において最も重要かつ困難だった決断は、収益をもたらしていた大量のライセンス契約を一括解除したことでした。
デ・ソーレが最初に着手したのはライセンス契約の整理でした。1万5000点以上の製品ラインを大幅に削減し、グッチが直接管理できる製品だけに絞り込む決断は、短期的には大幅な収益減を意味しました。
しかしこの決断なくしてブランドの価値回復はありえませんでした。安価なライセンス商品がなくなることで、グッチの希少性が徐々に回復し始めました。ブランドの価値は製品の数を減らすことで上がる、という逆説をデ・ソーレは実証しました。
参考:Financial Times「How Domenico De Sole Saved Gucci」

1995年の復活コレクションが世界を驚かせた
1995年にトム・フォードが発表したグッチのコレクションは、ファッション史上最も劇的なブランド復活の瞬間の一つとして記録されています。
1995年秋冬コレクションでトム・フォードが発表したのは、ベルベットのヒップスターパンツ、シルクシャツ、GGバックルのベルト。セクシュアリティと洗練さを大胆に融合させたデザインは、ファッション業界に衝撃を与えました。
このコレクションの翌年、グッチの売上は90%増加しました。倒産寸前だったブランドが、わずか2年で世界最も注目されるブランドの一つに返り咲きました。ブランドの価値は固定したものではなく、正しい判断と才能によって再建できるという事実を、グッチは世界に証明しました。
参考:Harper’s Bazaar「Tom Ford’s Gucci: The Most Spectacular Comeback in Fashion History」

まとめ
グッチが経営危機に陥った原因は創業家の内紛とライセンス商品の乱発によるブランド価値の崩壊でした。トム・フォードとドメニコ・デ・ソーレという二人の人物が、ライセンス契約の大量解除と大胆なデザインの刷新によってブランドを救いました。倒産寸前から売上90%増への劇的な復活は、ブランドの価値が正しい判断と才能によって再建できることを証明しています。

